後漢末の群雄。字は顕甫。
後漢朝の名門で後漢末の有力な群雄であった袁紹の三男で、袁紹からは特に寵愛された。
袁紹の死後、袁紹が明確に後継者を定めていなかった為、袁尚支持の家臣に擁立されて兄の袁譚とその一派に属する家臣と争う事になり、袁家の勢力は二分された。
204年に曹操と手を結んだ袁譚に敗れ、次兄である袁煕を頼って幽州へと逃れたが、家臣の反乱と曹操軍の攻撃でさらに遼西の烏桓を頼り、207年に烏桓が曹操軍に敗北すると遼東の公孫康を頼ったが、そこで殺害された。
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References:[沮鵠] [郭図] [審栄] [逢紀] [袁煕] [審配] [高幹] [郭援] [袁譚] [公孫康] [袁紹] [呂翔] [呂曠] [ホウ徳]