アラー・ウッディーン・ムハンマド(ホラズム)
アラー・ウッディーン・ムハンマド Ala ad-Din Muhammad
- 生年:?
- 没年:1220年
- 父:テキシュ
- 母:テルケン・ハトン
ホラズム朝?第七代スルタン。
ホラズム朝第六代スルタンであるテキシュ?の子で、1200年に父の死によって王位を継承した。
カスピ海北方のキプチャク族を破ったのに始まり、東では西遼?と断交して幾度と無く西遼への侵攻を行い、トルキスタンの一部を制圧し、さらに娘婿で反乱を起こしたカラ・ハン朝?のオスマーンを打倒してカラ・ハン朝を滅ぼしてサマルカンドを征服、また衰退した南のゴール朝?にも侵攻してヘラート、カズナを占領してゴール朝を完全に滅ぼし、西のアッバース朝?にも侵攻する等、ホラズム朝の最大版図を築いた。
しかし、1218年にオトラルでモンゴル帝国?が派遣した使節団が現地の総督に殺害された事により翌年にモンゴル帝国の侵攻を受け、各地でモンゴル軍に敗れた事により逃亡し、1220年に潜伏先であったカスピ海の小島であるアーバスクーン島で死去した。
人間関係
- テキシュ?
- 父。
- テルケン・ハトン?
- 母。ムハンマドの即位後も権勢は強かった。
- ルクン・ウッディーン・グールシャンチー
- 子。
- ジャラールッディーン
- 子。
- ウーズラーグ・シャー
- 子。末子であったが、生母がテルケン・ハトンと同じ部族の出身であった為、テルケン・ハトンの意向もあって後継者として指名されていた。
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