朝倉義景
朝倉義景 Asakura Yoshikage
- 生年:1533年
- 没年:1573年
- 父:朝倉孝景
- 母:広徳院
越前国の戦国大名。越前朝倉氏第十一代当主。
越前朝倉氏第十代当主である朝倉孝景の子で、天文十七年に父が死去した事によって朝倉氏の家督を継いで当初は延景と名乗ったが、後に将軍足利義輝から一字を与えられて義景に改めた。
若狭武田氏や加賀一向一揆としばしば争い、永禄八年に義輝が殺害された後に畿内を脱出した義輝の弟・足利義昭を迎えたが義昭の上洛要請には答えず、義昭は越前を退去して織田信長を頼った。
信長の上洛後は義昭の名においての信長の上洛要請に従わなかった事で織田氏と急速に対立し、元亀元年に織田軍の侵攻を受けて金ヶ崎城を落とされたが、浅井氏が味方に付いた事によって織田軍の撤退に成功した。
以後は浅井氏と組んで織田軍としばしば交戦したが、天正元年に刀根坂の戦い?で大敗し、織田軍の攻勢によって一乗谷を放棄して大野庄賢松寺に逃れたが、離反した一族の朝倉景鏡の攻撃を受け、一族と共に自害し、義景の死をもって越前朝倉氏は滅亡した。
メモ
- 足利義昭を保護しながら上洛せず、結果的に織田信長に上洛された事や武田信玄の出兵要請に消極的な行動を取って信玄から非難されたりと後世においては暗愚な印象が強いが、文化人としては一流の人物であった。
人間関係
- 朝倉孝景
- 父。
朝倉義景―信長を窮地に追い詰めた越前の雄 (PHP文庫)(星 亮一)
朝倉義景のすべて
朝倉義景 (人物叢書)(水藤 真)
一乗谷炎上―信長と朝倉義景(井ノ部 康之)
一乗谷残照―信長を苦しめた男、朝倉義景(夢野 大志)
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References:[1573] [魚住景固] [堀吉重] [朝倉景健] [朝倉景鏡] [朝倉氏] [一乗谷四奉行] [朝倉孝景] [前波吉継] [鳥居景近] [足利義昭] [人物リスト(日本中世史)]