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壇ノ浦の戦い

壇ノ浦の戦い Battle of Dan-no-ura

1185年4月25日に行われた戦いで、治承・寿永の乱における最後の戦い。

屋島の戦いでの敗北後、平氏は主要拠点であった長門国彦島に逃れていたが、源氏方の軍に追いつめられる事になり、関門海峡は壇ノ浦にて海戦が勃発することになる。

当初こそ水軍の扱いに慣れている平氏方の優勢であったが、源氏方が平氏方の水夫を攻撃した事や、潮の流れが変わったことにより源氏方が優勢となって、最終的には源氏方の勝利となった。

この戦いにより敗北した平氏方は安徳天皇と共に入水し、栄華を誇った平氏は名実共に滅亡した。

メモ

参加武将

源氏方

源義経
総大将。
梶原景時
河野通信

平氏方

平家一門

平宗盛
総大将。敗北により他の一門と同じく入水したが、子の清宗とともに捕らえられた。
平清宗
父の宗盛とともに入水したが、死に切れずに父と共に捕らえられた。
平能宗
父や兄と共に捕らえられた。
平知盛
敗北により家人の平家長とともに入水した。
平経盛
弟の経盛とともに入水した。
平教盛
兄の教盛とともに入水した。
平教経
最後まで奮戦し、最後は自らを討とうとした安芸兄弟を抱えて入水した。
ただし、教経は一ノ谷の戦いで戦死した説もある。
平資盛
弟の有盛、従兄弟の行盛とともに入水した。
平有盛
兄と行盛とともに入水した。
平行盛
資盛・有盛兄弟とともに入水した。

平家家人

藤原景清
藤原忠光
平盛嗣
平盛久
平家長

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解説

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話題まとめ

チャットログ

http://www.cre.jp/writing/IRC/write-ex1/2007/06/20070620.html#140000
源義経の合戦と戦略 ―その伝説と実像―』の話。壇ノ浦の合戦で勝敗を分けたのは要するに補給という説を提示してます。

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