後漢末に孫策・孫権に仕えた武将。字は元代。
揚州会稽郡余姚県の出身で、196年に孫策が会稽太守となった際に高遷宮にて出迎えて配下となり、山賊討伐に功績を挙げ、さらに劉勲・黄祖との戦いに活躍して揚武都尉となり、孫権の時代には賊討伐の功績等で威越校尉を経て偏将軍に昇進した。
208年には黄祖を攻撃した際は自ら刀を奮って奮戦し、黄祖が持つ二隻の蒙衝を繋ぐ縄を切断して勝利の切欠を作る大功を得たが、217年に五楼船を指揮した際に暴風雨に遭って沈没する船と共に運命を共にした。
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