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シュメール・アッカド時代

シュメール・アッカド時代

 古代メソポタミアのシュメール・アッカド地方で、シュメール人が主導し、アッカド人が協調して都市文明が営まれた時代。

 普通、B.C.4000年頃から、B.C.2004年までとされることが多い。

 紀元前6千年紀〜5千年紀(B.C.6000年〜B.C.4001年)に営まれたウバイド文化をシュメール人の文化、とする説もあるが、現状この説には疑問も多い。

時代区分

よくなされている時代区分

 古代史研究や、考古学でよくなされている時代区分。

ウルク期
B.C.4000年頃〜B.C.3100年頃
 ウルクをセンターとして営まれた文化が、先行したウバイド文化と入れ替わりながら広まっていった時期。ウルク型の文化は、当初ウバイド文化と併存していたが、まず、メソポタミア南部に広まり、ついで、メソポタミア北部にも広まった。
 地域で、ウバイド期(紀元前6千年紀〜紀元前5千年紀)に成立した集落が都市化をはじめた。数字記録、ウルク古拙文字が発生した他、土器の大量生産、円筒印章の発達などが見られる。
ジェムディット・ナスル期
B.C.3100年頃〜B.C.2900年頃
 南部メソポタミアのジェムディッド・ナスル遺跡をセンターとして、ウルク文化から発展した文化が、ウルク文化と入れ替わりながら南部メソポタミアに広まった時期。ジェムディッド・ナスル文化はペルシア湾湾岸にも広がりを見せた。
 北部メソポタミアでは、B.C.3000年頃までウルク後期型の文化が優勢だったが、B.C.3000年頃からは、ニネヴェVの文化層と同タイプの文化が優勢に。ジェムディッド・ナスル文化は北部へは広がらなかった。文化交流は想定される、すなわち、この頃、北部メソポタミアの文化的自律性が確立したと目される。
 ウバイド期の最末期、あるいは、ジェムディッド・ナスル期の初期に、南部メソポタミアの諸都市で、順時、都市国家体制が確立していった、と目される。粘土板による文字記録の手法が確立。絵文字から楔形文字への移行が完了。楔型文字システムの体系化と普及が進んだ。
初期王朝時代
B.C.2900年頃〜B.C.2350年頃
 都市国家体制を確立したシュメール地方の有力都市が、周辺小都市を併合しつつ、地域の覇権を争った時代。最終的には、アッカド地方の新興都市アガデが、シュメール・アッカド地方に覇権を確立し、アッカド王朝時代に移行。
 初期王朝時代は、普通、次のように細分されている。I期(B.C.2900年頃〜B.C.2750年頃)、II期(B.C.2750年頃〜B.C.2600年頃)、IIIA期(B.C.2600年頃〜B.C.2500年頃)、IIIB期(B.C.2500年頃〜B.C.2350年頃)。
 初期王朝時代初期の覇権争いは、神話と入り交じった伝説的な記録で遺されているが、充分な実態解明がなされているとも言えない。ただ、都市間の争いが、居住区を囲壁で囲む事業を誘発。都市国家体制の集中が促される大勢だったようだ。(シュメール地方での都市化は、ウルク期に、まず神殿の周囲が囲壁で囲まれその周辺に居住区が成立することではじまった)
 初期王朝時代後半の覇権争いは、大筋次のようだった、と目されている。B.C.2500年頃、ウルが最有力都市になっていた
→ ウルが衰えるのと入れ替わるように、ラガシュとウンマとが、抗争しつつ勢力を伸ばした
→ ラガシュの勢力が衰えた跡を、ウルクが襲い、ウルと連立王権(?)体制に
→ ウルクは、シュメール・アッカド制圧の基礎を築いたが、最終的にはウンマ出自のルガルザゲシが、ウルク王に(B.C.2310年頃)
→ しかし、ウルクの覇権は、アッカド地方の南部(つまりシュメール地方に近い地域)で、キシュから独立(B.C.2370年頃?)した新興都市アガデのサルゴン大王によって奪われしまう(B.C.2330年頃)
アッカド王朝時代
B.C.2350年頃〜B.C.2100年頃とされる。
(ただし、B.C.2230年頃から王朝の勢力が衰え「混乱期」に入る)
 シュメール・アッカド地方に覇権を確立したアッカドのサルゴン(サルゴン大王)の王統が、4代続いた時代。(サルゴンの王統自体は、その後も1地方政権としては存続したようだ)
グティ時代
B.C.22??年〜B.C.2112(?)年
 東方から、シュメール・アッカド地方に侵入してきた異民族グティ人が、支配的になっていた、とされた時代。
 しかし、グティの支配がどのようなものだったかは、定かではない。少なくとも、古代の歴史伝承が伝えるように、独自の王朝を建て、諸都市を支配した、といったことはなかったようだ。
 なお、「グティ時代」の開幕時期については、現状、とりあえず「紀元前23世紀末」としか言いようがない。研究者の間では、現在、「グティ時代」を「アッカド王朝時代」末期からの「混乱期」に含めて、整理すべき、との試みもなされている。
ウル第3王朝時代
B.C.2112(?)年〜B.C.2004(?)年
 ウル第3王朝時代は、王統の祖、ウル・ナンムがウルの王位就いた年からと整理されている。B.C.2112年のことと推定される。
 古代の歴史伝承では、ウルク第5王朝のウトゥ・ヘガルが、グティ人の支配を打倒した頃、ウルクの軍事司令官だったウル・ナンムがウル王位に就いて独立した、と言う。ウル・ナンムは、ウトゥ・ヘガルの王統と、または息子だった。
 ウル王イビ・シンの治世24年めに、おそらく、ウルク市がエラム人の軍勢に制圧された。イビ・シンはエラムの首都アンシャンに連行されたらしく、その後の消息は知れない。この年がウル第3王朝滅亡の年で、B.C.2004年と推定されている。
 マリ出身のアムル人、イシュビ・エラが、エラム人勢力を地域から駆逐したのは、この後10年ほどたってから、と思われる。

 ウル第3王朝の滅亡後、イシン・ラルサ時代を経て古バビロニア時代に移行。古バビロニア時代以降は、バビロニア史の分野になる。

関連用語

用語
解説
ウバイド文化
古拙文字
ウルク古拙文字

別観点からの時代区分

都市国家から領域国家統合への動きを重視した時代区分

 古代メソポタミア史の研究者、前田 徹?氏が、『都市国家の誕生』(世界史リブレット1、山川出版社、1996)にて提唱している時代区分を要約紹介します。(前田前掲書の、主に第2章「シュメールの都市と国家」p.21〜65、他に依拠)

 この時代区分は、シュメール・アッカド地方の支配者が用いた王号の変遷を指標とする、との方法で構想されています。多分に作業仮説的な性格がある時代区分なのかもしれません(?)。

都市国家分立期
 初期王朝時代初頭から初期王朝時代末期近くまで。
 諸都市の支配者は「都市国家名+王号」という形式の王名を用い、かつ、王号には、都市ごとに、それぞれの伝統に則した2、3の種類の併用がみられる。
領域国家形成期
 初期王朝時代末期からアッカド王朝時代中頃まで。
 「国土の王」「全土の王」の王号が用いられるようになった。伝統的な「都市国家名+王号」も残存したが、その社会的意味付けは、「国土の王」「全土の王」との関係で変質もしていった。また、ニップル市で用いられた年名が、スタンダードになった。
(ちなみに、都市国家分立期の末期にラガシュの王が「すべての王」を称したが、この王号は定着しなかった)
統一国家形成期
 アッカド王朝第4代のナラム・シンが「四方世界の王」の王号を用いて以降。
 ナラム・シンは「四方世界の王」と「アッカド王」の王号とを併用。伝統的に王は祭祀王だったが自身を神格化することもした。
(王の神格化は、古くはサルゴン大王が嚆矢と目されていたが、前田氏は「この説は後代形成された歴史伝承に現在の研究者が無批判に依拠した結果」と考える立場を採っている)
統一国家確立期
 ウル第3王朝時代に相当。
 ナラム・シンの後、途絶えていた王の神格化がスタンダードになった(ウル第3王朝第2代からイシン王朝まで継続)。「ウル・ナンム法典」が編纂された。
メモ

 前田氏自身、前掲書(『都市国家の誕生』)の内で「シュメールの王権がイデオロギーにおいて完成の域に達したのにたいして、その社会・経済的側面では、完成の域にほど遠いものがあった」と記しています(前掲書、p.57)。文脈から判断して、「統一国家確立期に入って、王権イデオロギーは完成の域に達したが、社会制度、経済制度の実態は、統一国家として完成の域にほど遠かった」といった意味でしょう。

 この点を踏まえることさえ忘れなければ、紹介した時代区分は、非研究者がシュメール・アッカド史を大掴みに理解したり、創作の題材として考えるには、有益な時代区分と思えます。

書籍紹介

話題まとめ

Last modified:2005/11/12 20:01:52
Keyword(s):
References:[アッカド王朝時代] [小辞典] [時代区分] [ニップル] [グティ時代] [シュメール文明] [シュメール語]