後漢末の群雄。字は伯珪。
幽州遼西郡令支県の出身で、豪族の子として産まれて若い頃は盧植?に師事し遼西郡にて役人を務め、鮮卑や烏桓の丘力居?等の異民族や張純?・張挙?らの反乱討伐に従事して功績を挙げて中郎将・都亭侯となり、董卓の台頭後は奮武将軍・薊侯となった。
その後は河北の支配権をめぐって冀州を支配した袁紹と度々争い、袁紹と手を結んだ劉虞を殺害したが、次第に袁紹の勢力に押されるようになり、易京の城塞に籠城した末に落城によって一族と共に自害した。
常に白馬に騎乗し、その有名から白馬将軍と呼ばれ、騎射に秀でた部下を白馬に騎乗させた部隊は白馬義従と呼ばれた。
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References:[王門] [劉備] [公孫続] [単経] [厳綱] [公孫越] [袁煕] [劉虞] [鄒丹] [韓馥] [麹義] [関靖] [劉岱] [袁紹] [公孫範] [袁術] [田楷] [田豫] [趙雲]