三国時代の呉の政治家。
呉の家臣である顧邵の子で、若くして皇太子孫登の四友の一人となり太子中庶子から輔正都尉に転じ、赤烏年間には左節度の役に就いた。
薛綜が選曹尚書に任じられた際、薛綜が顧譚の方がふさわしいとして任を固辞した為、新たに選曹尚書となり、祖父である顧雍の死後は太常・平尚書事となった。
しかし、孫権の後継者を巡る争いに巻き込まれて全氏一族らの讒言によって流罪となり、交州に流されて同地で没した。
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References:[孫登] [顧邵] [二宮の変] [薛綜] [張休] [孫登の四友] [顧雍]