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韓遂

韓遂 Han Sui

  • 生年:?
  • 没年:215年(219年とも)
  • 父:
  • 母:

後漢末期の群雄。字は文約。

涼州金城郡の出身で、184年に涼州にて異民族が反乱を起こしたのに呼応して朝廷に反逆し、数年間にわたって涼州にて張温や董卓らの率いる官軍と抗争を繰り広げた。

李カクが朝廷の実権を握った際には馬騰と共に李カクに属して鎮西将軍に任じられたが、次第に対立するようになり、194年に李カク軍と戦ったが敗れた。

その後は曹操に服して征西将軍に任じられたが、211年に馬超ら関中の軍閥と共に曹操に対して反乱を起こして一時は長安を陥落させたが、曹操側の離間策によって馬超に疑われて反乱軍の結束は緩み、曹操軍にこの後に敗れた事によって涼州に逃亡した。

以後も涼州にて曹操軍に抵抗したが215年に殺害されてその首級は曹操の元に送られた。

メモ

  • 没年は219年という記述もあり、病死したともされる。
  • 「三国志演義」では馬超に疑われた際に左腕を切り落とされ、史実とは違って曹操に降伏する道を選んだ。

経歴

人間関係

馬騰
一時は義兄弟の契りを結ぶほどに親しい関係であったが、後に対立して馬騰の妻子を殺害している。
馬超
共に曹操に対して反乱を起こしたが、曹操の離間策によって曹操への内通を疑われた。
曹操
同年に孝廉に挙げられた縁で旧知の仲であったが、それが離間策に利用された。
樊稠
同郷の縁で親しく、韓遂と李カクが争った際に李カク側であった樊稠は撤退する韓遂を見逃したが、後に李カクによって討たれる原因となる。

名台詞

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Last modified:2014/02/14 17:56:54
Keyword(s):
References:[成公英] [馬超] [董卓] [手下八部] [関中十将] [閻行] [李利] [馬騰] [樊稠]