鎌倉時代の武士。
畠山重忠の子で、元久元年(1204年)に源実朝室(坊門信清女)を迎える為、北条政範?とともに上洛、その際に京都守護であった平賀朝雅と口論となり、その後朝雅が妻の生母である北条時政の後妻牧の方?に訴えた為、畠山重忠の誅殺を謀った北条時政の命により鎌倉由比浦にて三浦義村の手勢に殺害された。
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References:[畠山重忠] [平賀朝雅]