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本多忠勝

本多忠勝 Honda Tadakatsu

  • 生年:1548年
  • 没年:1610年
  • 在位:
  • 官職:
  • 父:
  • 母:

戦国時代の武将。本多平八郎の通称でも知られる。徳川四天王徳川十六神将徳川三傑

松平家臣の本多忠高の子で、幼少の頃から徳川家康に仕え、家康配下屈指の勇将として関ヶ原の戦い迄の家康が戦った数多くの重要な戦いに活躍、織田信長豊臣秀吉にもその勇猛を評された。

家康の関東移封後は上総国大多喜10万石を領し、関ヶ原の戦い後は伊勢国桑名10万石に移封となる。

メモ

  • 武田方の武将から「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」と賞賛された。
  • 生涯に参加した合戦は57回に及んだが、かすり傷ひとつ受けたことがないと伝えられている。
  • 小刀で彫り物をしていたらうっかり指に小さな切り傷を作ってしまった。それで忠勝は死期を悟って嘆き、実際に数日後に亡くなったとの逸話がある。これが忠勝唯一の負傷だとか。

経歴

人間関係

徳川家康
主君。
本多忠政?
長男。
本多忠朝?
二男。
小松姫?
長女。真田信之室。
真田信之
娘婿。

名台詞

セリフ
説明

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Last modified:2010/01/12 10:09:32
Keyword(s):
References:[徳川二十八将] [本多氏] [徳川四天王] [真田信之] [真田信繁] [蜂屋貞次] [徳川三傑] [姉川の戦い] [日本七槍] [徳川十六将]