一条兼定
一条兼定 Itijyou Kanesada
- 生年:1543年
- 没年:1585年
- 父:一条房基
- 母:大友義鑑女
土佐国の戦国大名。
土佐一条氏当主一条房基の子で、父の死後は大叔父にあたる京一条家の一条房通? の猶子として京都で育ち、弘治二年に房通が死んだ後は土佐へ戻った。
縁戚の大友氏や伊予宇都宮氏?と連携して伊予への進出を図り、また土佐中央部で本山氏や長宗我部氏と争ったが、長宗我部氏との戦いに敗れて勢力は衰退し、重臣である土居宗珊を殺害した事によって他の重臣の反発を招いて天正元年に出家し、翌年に追放されて豊後の大友氏を頼った。
天正三年に大友氏の支援を受けて土佐へ戻り、勢力の回復を図ったが、同年の四万十川の戦い?で長宗我部氏に大敗して土佐国内における土佐一条氏の勢力は完全に滅亡し、以後は豊後水道の戸島に住んで生涯を終えた。
大友氏を頼った後はキリスト教に入信し、洗礼名をドン・パウロと称した。
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References:[土居宗珊] [小島政章] [大友義鎮] [一条房基] [依岡左京] [土佐一条氏] [一条内政]