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梶原景時

梶原景時 Kajiwara Kagetoki

  • 生年:1140年?
  • 没年:1200年
  • 在位:
  • 官職:
  • 父:梶原景清?
  • 母:横山孝兼女

平安末期〜鎌倉時代の武将。

坂東八平氏の流れを汲む梶原景清の子で、治承・寿永の乱においては当初平家に従い、石橋山の戦いでは平家側として源頼朝の軍を破ったが、頼朝が再挙して鎌倉に登った後は源氏側に属した。

以降は頼朝に重用されて平家追討にも参加、鎌倉幕府成立後は侍所別当?を務め、頼朝の死後は十三人の合議制?の一人に列したが、他の有力御家人達と対立、上洛の途中の駿河国において一族と共に攻め滅ぼされた。

メモ

  • 平家追討においては、義経の指揮下に入るが、慎重論を唱える彼と、積極論を唱える源義経はそりが合わず、その仲はお世辞にもいいものではなかった。義経と不仲であったからか、後世における義経人気の影響の中、景時は義経を讒言で追い落とした悪役というイメージが形作られていくことになる。

経歴

人間関係

梶原景季
長男。
梶原景高
二男。
梶原景茂
三男。
梶原景義?
四男。
梶原景宗?
五男。
梶原景則?
六男。
梶原景連?
七男。

名台詞

セリフ
説明

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