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小早川秀秋

小早川秀秋

安土桃山時代の大名。豊臣秀吉の正室高台院の甥。

関ヶ原の戦いでは当初西軍にいたが戦闘中に東軍に寝返り、東軍の勝利に貢献した。

メモ

経歴

  • 木下家定(高台院の兄)の五男として誕生。元服直後の名は木下秀俊。
  • 義理の叔父羽柴秀吉の養子となり、羽柴秀俊となる。
  • 秀吉の命令で小早川隆景の養子になり、小早川秀俊となる。
  • 隆景の隠居で小早川家の家督を相続。
  • 慶長の役では釜山周辺の守備を担当。このころ名を秀秋に改める。
  • 越前北ノ庄への転封を命ぜられるが、秀吉の死去で取り消される。
  • 関ヶ原の戦いでは西軍として伏見城攻略に参加、松尾山に布陣する。西軍有利のまま膠着する中、秀秋率いる小早川勢が西軍の大谷吉継の陣を攻め、一気に東軍勝利になだれ込む結果になった。
  • 論功行賞で備前美作に加増・移封。
  • 関ヶ原の戦いから2年後の慶長7年(1602年)に早世。秀秋に子がなく、小早川家は無嗣断絶となる。

人間関係

豊臣秀吉
義理の叔父。養父になっていた時期もある。
小早川隆景
養父

名台詞

セリフ
説明

関連用語

話題まとめ

チャットログ

http://www.cre.jp/writing/IRC/write/2006/03/20060306.html#090000
かくして小早川秀秋は負けた側からも、味方して勝利をもたらした側からも憎まれ、恨まれ、あるいは嫉妬される。

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