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源義経

源義経

  • 生年:1159年
  • 没年:1189年
  • 父:源義朝
  • 母:常盤御前

平安時代末期の武士。

清和源氏源義朝の九男で、源九郎と称した。幼名は牛若丸。

父である義朝の敗死後は幼少の身で鞍馬寺に預けられて僧としての修行を受けたが、後に脱出して奥州の藤原秀衡を頼った。

治承・寿永の乱の際は兄である源頼朝の基に馳せ参じてその麾下に加わり、以後は兄の源範頼とともに上洛して木曾義仲を破り、以後の平家追討戦においては一ノ谷の戦いでの奇襲攻撃で平家軍を破ったのを皮切りに屋島の戦い壇ノ浦の戦いで平家軍を破って平家打倒に多大な功績を挙げた。

しかし、頼朝の許可無く朝廷からの任官を受けた事等により頼朝と対立、後白河法皇から頼朝追討の院宣を受けて反旗を翻したが、その後は義経追討の院宣を頼朝が受け、逆に義経が逃亡を強いられる事になり、最後は奥州の藤原秀衡の元へ逃れた。

以後は奥州藤原氏と共に頼朝と対抗する事を図ったが、秀衡の死後に奥州藤原氏の当主となった藤原泰衡が頼朝側との協調を目指した事により、1189年4月30日に平泉の衣川館を泰衡の軍に襲撃されて自害した。

メモ

経歴

人間関係

父母

源義朝
父。
常盤御前?
生母。

兄弟

源頼朝
異母兄。
源範頼
異母兄。
阿野全成
同母兄。
源義円
同母兄。

妻妾

郷御前?
正室。
静御前?
側室。
蕨姫?
側室。平時忠?の娘。

その他縁戚

河越重頼
舅。
源有綱
娘婿(異説あり)。
一条能成?
異父弟。

女子
源有綱室。ただし、義経の年齢から妹ともされ、明確な事実は不明。
女子
衣川の戦いの際に義経とともに死亡。当時四歳。亀鶴御前とも。
千歳丸
『清和源氏系図』によると衣川の戦いの際に義経とともに死亡したとされる。当時三歳。
男子
義経と別れた後に鎌倉側に捕らえられた静御前?が産んだとされる。頼朝の命により由比ヶ浜に沈められた。

配下

武蔵坊弁慶
伊勢義盛
佐藤継信
佐藤忠信
亀井重清
堀景光?
深栖頼重?
片岡経春?
片岡弘経
鈴木重家?
江田源三?

架空・伝承

配下

駿河清重
鷲尾義久
鎌田光政
鎌田盛政
十郎権頭兼房?
喜三太?
杉目行信?
常陸坊海尊

妻妾等

皆鶴姫
藤原成道と側室の桂御前との間に生まれたとされ、後に桂御前が鬼一法眼と再婚した際にその養女となり、京都にいた義経と恋仲となったが、後に義経が奥州に逃れる事によって離別し、その後を追いかけたが会津で死亡した。
シララ
北海道の積丹岬にある部落の酋長の娘。義経と恋に落ちて子を産んだが、頼朝の追及を逃れる為に旅立った義経を見送った際、子と共に波に飲み込まれて大岩になったという伝承が残る。
チャレンカ
北海道日高にある平取という部落の酋長の娘。義経と恋仲になるが、大陸に渡る為に密かに旅立った義経を追いかけたが再会は果たせず、最後は神威岬から海に身を投げ、神威岩となった伝承が残る。
メヌカ
北海道雷電(岩内町)の部落の酋長チパの娘。義経に恋心を持ち、出立の際に義経が来年には戻ると約束、来年という言葉が転じて雷電という地名の由来になったとされる伝承が残る。結局は義経は戻らず、刀掛岬で身投げして岩になったとされる。

その他

金売り吉次?
鬼一法眼?

名台詞

セリフ
説明

関連用語

義経=ジンギス・カン説
義経が衣川で死なず、蝦夷を経て大陸に渡り、同世代であっったモンゴル帝国?の創始者であるジンギス・カン(チンギス・ハーン)となった説。
明治時代に唱えられたが、それ以前にも義経生存の伝説は数多く伝えられていた。
義経四天王
義経に仕えた四人の郎党を指す。
判官贔屓
判官は義経の官位である検非違使の通称で、多大な活躍をしながらも非業の死を遂げた義経に同情する心情を指し、転じて義経と同じく非業の死を遂げた英雄に対する同情による人気の意味合いを指す。

話題まとめ

チャットログ

http://www.cre.jp/writing/IRC/write/2005/05/20050531.html#090016
義経たんがもっと言い訳の上手な娘だったら、あんな仕打ちは受けないよな。

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