三国時代の呉の将軍。字は文珪。
東郡発干の出身で、孫権が陽羨県長だった際に仕え、才覚を評価されて呉の大市場の取り締まりで功績を挙げ、その功績で豫章郡の西安県長となり、次いで建昌の統治を担った。
合肥の戦い?では窮地となって逃亡する味方の兵を斬って士気を高めて反撃の気勢を作った功績で偏将軍に任じられ、219年の荊州攻略では関羽を捕縛するのに貢献して固陵太守・振威将軍となり、夷陵の戦い?では陸遜の指揮下で活躍して平北将軍となった。
その後は右将軍にまで昇進したが、234年に死去した。
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References:[丁奉] [朱然] [呂岱]