三国時代の呉の政治家・軍人。字は子璜。
呉郡銭唐県の出身で桂陽太守を務めた全柔?の子で、戦乱を逃れた中原からの人士を多く救出した功績を認められて奮威校尉となり、山越族の討伐に従事した。
219年の荊州攻略では関羽を討つべきであると上訴して立てた計略を述べ、採用されなかったものの孫権に評価されて陽華亭侯に封ぜられた。
222年の魏軍の侵攻や228年の石亭の戦いにおいても功績を挙げて衛将軍・左護軍・徐州牧に昇進し、孫権の娘である孫魯班?を娶った。
246年には右大司馬・左軍師となり、249年に死去した。
Keyword(s):
References:[二宮の変] [ホウ統] [呂範] [朱桓] [張休] [孫権] [陸遜]