天文の乱
天文の乱 Tenbun War
戦国時代の奥州にて南奥州の戦国大名である伊達稙宗とその子である伊達晴宗の争いで、天文年間の天文十一年(1542年)から天文十七年(1548年)まで続いた。洞の乱とも。
稙宗が三男である実元を越後守護上杉定実?の養子とする方針に晴宗が反発して1542年6月に稙宗を晴宗が伊達郡西山城に幽閉した事件に始まり、その後脱出して縁戚関係にある奥州各地の大名の支持を得た稙宗と伊達家臣団の支持を受けた晴宗との戦いとなり、伊達氏内部の争いに留まらず、南奥州全域の大名を巻き込む大乱となった。
最終的には蘆名氏等が晴宗側に転じて晴宗が有利となり、将軍足利義輝の仲裁を受けて稙宗が晴宗に家督を譲る形で実質的に晴宗側が勝利する結末となった。
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References:[中野宗時] [田村隆顕] [遠藤宗忠] [支倉忠常] [氏家定直] [大町頼明] [伊達晴宗] [白石実綱] [伊達実元] [懸田俊宗] [小梁川宗朝] [小梁川宗秀] [最上義守] [桑折景長] [村田近重] [小原宗綱] [蘆名盛氏] [金沢宗朝] [牧野宗興] [富塚宗綱] [富塚仲綱] [葛西晴胤] [留守景宗] [相馬顕胤] [南半田宗親] [伊達稙宗] [小梁川親宗]