三国時代の魏の将軍。字は国譲。
幽州漁陽郡雍奴県の出身で、少年の時に義勇兵を率いていた劉備の配下となっていたが、後に母親が病気で倒れた事によって劉備の元を去って郷里に帰った。
その後は公孫サンの配下となり東州令代行を務め、公孫サンの敗死後は旧知である鮮于輔?を頼って共に曹操に帰順し、丞相軍謀掾に任じられて以後は曹彰の配下として烏桓の討伐に功績を挙げ南陽太守等も歴任した。
魏の成立後は護烏桓校尉として北方の異民族対策に従事し、多大な功績を挙げて正始年間には護匈奴中郎将・振威将軍となり晩年は衛尉・太中大夫となった。
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References:[王門]