江戸幕府第十四代将軍。
紀州藩主徳川斉順の子で、叔父の徳川斉彊の死後に紀州藩主を継ぎ、徳川慶福と名乗った。
その後、将軍徳川家定の病弱もあって大老井伊直弼を中心とした南紀派によって一橋派の推す一橋慶喜?を退けて将軍位に就いた。
公武合体策の一貫として孝明天皇の妹である和宮親子内親王を正室に迎え、将軍としては229年振りに上洛を果たしたが、第2次長州征伐の際に大阪城で病死した。
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