三国時代の蜀の将軍。字は子均。
巴西郡宕渠の出身で、当初は漢中に進出した曹操に仕えて校尉となっていたが、漢中を巡って曹操軍と劉備軍が戦った際に劉備に帰順し、牙門将・裨将軍に任じられた。
蜀の成立後は北伐に参加し、第一次北伐での街亭にて馬謖が大敗した際は副将を務め、山上に布陣した馬謖の方針に反対して諸葛亮の方針を守って撤退戦に成功した事を諸葛亮に評価されて討寇将軍となり、以後の北伐においても魏軍を破る活躍をした。
諸葛亮の死後は後典軍・安漢将軍に任ぜられ、呉懿の後任として漢中太守となり、漢中方面の守備を担当した。
その後は前監軍・鎮北大将軍に任ぜられ、244年には魏軍を破った。
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References:[馬謖] [人物リスト(中国古代史)] [諸葛亮] [魏延] [蜀の四猛将] [呉懿]