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吾粲

吾粲 Wu Can

  • 生年:?
  • 没年:245年
  • 父:
  • 母:

三国時代の政治家・軍人・字は孔休。

呉郡鳥程県の出身で、寒門の出身であったが鳥程の県長を務めていた孫河?の下役として仕えた際に才覚を認められて曲阿の丞となり、209年には孫権の主簿となった。

その後は参軍校尉・会稽太守を歴任し、235年には昭義中郎将として山越討伐に活躍し、太子太傅にまで昇進したが、二宮事件にて嫡子と庶子の区別をつけ、孫覇を夏口に移し、孫覇派の楊竺?を遠さげる事を讒言したが、楊竺ら孫覇派の讒言に遭って誅殺された。

メモ

経歴

人間関係

孫権
二宮の変の際に孫和を補佐する立場として長幼の序を守って孫和と孫覇の扱いを変えるように讒言したが聞き入れられず、最後は吾粲に死を命じた。
孫和
太子太傅として補佐し、二宮の変では孫和を擁護して孫和派の中心として活動する。
孫河?
吾粲の能力を評価して抜擢した。
陸遜
二宮の変で孫和の正当性を認める為に協力を求めた。
顧邵
友人。
楊竺?
孫覇派である楊竺の左遷を求めたが逆に讒言された。

名台詞

セリフ
説明

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Last modified:2013/10/04 10:27:50
Keyword(s):
References:[顧邵] [陸遜] [二宮の変]