明の政治家。字は弘済。
湖北省石首県の出身で、1400年に進士に及第し、永楽帝時代には司経局洗馬を経て当時皇太子であった洪熙帝の側近となったが、オイラート親征から帰還した永楽帝の奉迎に失態があったとして投獄された。
その後、洪熙帝の即位によって釈放となり、内閣に入って翰林院学士、礼部尚書などを歴任、楊士奇・楊栄とともに三楊?と称され、後年は彼らと共に張太皇后の信任をうけて幼少の正統帝の補佐を務めたが、晩年は張太皇后や楊士奇・楊栄が相次いで没し、王振を始めとした宦官勢力が台頭した為に孤立して不遇であった。
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References:[楊士奇]