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諸葛恪

諸葛恪 Zhuge Ke

  • 生年:203年
  • 没年:253年
  • 父:諸葛瑾
  • 母:

三国時代の政治家。

諸葛瑾の長男で若くして才名があり才知溢れた弁舌を得意とした人物で、皇太子孫登の四友となり、234年には撫越将軍・丹陽太守として山越討伐に功績を挙げ、威北将軍・都郷侯となり次いで大将軍となった。

251年に孫権が死去して幼少の孫亮が跡を継いだ際には太傅として呉の政治を主導し、関税の廃止などの政策を行って支持され、252年には東興で侵攻してきた魏軍を撃破した。

しかし、翌年に侵攻を強行して多数の兵を疫病で失う失態を犯してさらに侵攻計画を立てた事で周囲の反発を招き、孫峻の一派によって誅殺された。

メモ

  • 才知に優れつつもそれを自負した驕慢な性格を若い頃から多くの人間から指摘されており、父らの危惧通りに破滅の末路を迎え、「三国志」の著者である陳寿も指摘している。

経歴

人間関係

血縁関係

諸葛瑾
父。才覚に優れた反面、驕慢な恪を危惧して諸葛家を興隆させるが遂には滅ぼすと評した。
諸葛亮
叔父。他国にいる諸葛亮も恪の性格を知っており、222年に恪が軍糧を司る職務に就いた事を知って陸遜に役目を変えさせるべきだと手紙を送っている。

孫家

孫権
主君。孫権の前ではいくつかの優れた才知を示す逸話が残っているが、才能を自負して他者の意見を聞かない面が強い恪の性格を危惧しており、跡を継ぐ孫亮の後見役として託すのに最初は躊躇した。
孫亮
主君。後見役となったが、次第に専横が目立つようになった。
孫登
「孫登の四友」の一人に数えられた。
孫和
二宮事件では孫和を支持しており、孫亮の時代には南陽王となっていた孫和を今よりも良い立場にするとの発言をして謀反を疑われた。
孫奮
武昌から豫章に任地を移そうとして孫奮に反発されたが、厳しく諌めて意向に従わせた。
孫峻
孫亮の後見役として孫権に対して諸葛恪を推薦したが、後に不和となって諸葛恪とその一族を誅殺した。

呉臣

滕胤
親しい関係で縁戚にもあたる。「三国志演義」では一転して険悪な関係となっている。
孫弘?
対立して誅殺した。
陸遜
諸葛瑾らと同じく恪の驕慢さを危惧して忠告している。
張昭
張昭を才知でやり込めている。
張承
父の友人で縁戚にあたる。他の人物と同じく恪の性格を心配していた。
朱異
魏侵攻の際に対立し、諸葛恪に暴言を吐いた事で建業に帰された。
朱績
仲が悪く、弟の諸葛融が朱績に援軍を送らなかった一件で完全に対立した。

名台詞

セリフ
説明

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